活動報告ブログ いきいき!産地つうしん | あいコープみやぎ

バランゴンバナナの産地を訪ねて -産地のおと-


産地の情報をお届けする「産地のおと」

第6回は海を越え、フィリピンの産直バナナを紹介!

ミンダナオ島で出会ったひと、暮らし、地域。
今回の視察ではフィリピン・ミンダナオ島にある4つの地域を訪れました。言語や文化のちがいを超え、私たちの食卓に届くバナナの作り手たちの声をお伝えします。
(書き手:職員 千葉 ゆか)

フィリピンでバナナ事業を担うスタッフのみなさんと。

フィリピンでバナナ事業を担うスタッフのみなさんと。前列右から2番目が職員千葉

バランゴンバナナって?

あいコープの産直バナナのひとつである「バランゴンバナナ」。
「バランゴン」とはフィリピンに自生するバナナの品種の名前で、自然を守りながら化学合成農薬・化学肥料を使用せずに栽培されています。

初めて日本に届けられたのが1989年。フィリピン・ネグロス島ではスペインの植民地時代から封建的な大土地所有制度のもと、サトウキビのプランテーション農園が広がり、多くの人々が労働者として働かざるを得ない状況がありました。

ところが1985年に砂糖の国際価格が大暴落。労働者は解雇され、その家族や幼い子ども達にも貧困と飢餓が襲いかかりました。
飢餓とたたかいながら子どもたちに人間らしい生活を残したいと頑張る現地の人びとと、「いのち・暮らし・自然を守る」ことをテーマに、生産者と消費者の共生をめざす日本の人びととの出会いから生まれた「民衆交易」の商品です。

初めて行く海外の産地

ここ数年、豚熱やコロナで行き来が途絶えていた日本の生協とフィリピンの産直産地の交流を再開すると聞き、あいコープの果実担当として昨夏フィリピン・ミンダナオ島にある生産者を訪ねてきました。
日本との時差は1時間ほどですが、赤道に近く一年を通じて暖かく1年中バナナが育ちます。現地に行き、改めて学んだことはバランゴンバナナが様々な人の手を渡って日本へ届いていること。

フィリピン各地の小規模生産者が育てたバナナを、基準通り栽培されているか確認する人、選別して運搬する人、パッキング(箱詰)する人。フィリピン各地にバランゴンバナナに携わる人たちがいて、日本にいるわたしたちの手元に届いていることがわかりました。

バランゴンバナナの輸出元であるオルター・トレード・フィリピン(ATPI)の皆さん

バランゴンバナナの輸出元であるオルター・トレード・フィリピン(ATPI)の皆さん

バナナ栽培は楽しい。親子でつなぐバナナ。

北ミンダナオのバラグナン村で出会ったジョンレイさんは、母親のヴィオレッタさんとバランゴンバナナを生産しています。

ヴィオレッタさんは地域で最初にバランゴンバナナ栽培を始めたひとりで、地域に仲間を広げ、とりまとめ役を担っています。

息子のジョンレイさんも生産活動だけでなく、各生産者が作ったバナナの「運搬担当」として、出荷に適した太さがあるか、病気になっていないかなど、外観をチェックし、パッキングセンターに運びます。
房に切り分ける作業は職人のようで、茎の断面に茶色い変色がみえると「これは病気のバナナだ」とわずかな変化も見逃しません。

バナナの仕事がないときは、町でタクシー運転手をしているそう。「バランゴンバナナ生産者と運転手、どちらの仕事が好き?」と尋ねると「バナナ栽培だよ。タクシーはお客さんがいないと仕事や収入につながらないけど、バナナはきちんと手入れすれば収穫できて収入につながる。バナナ栽培のほうが楽しいよ。」と答えてくれました。
魅力ある仕事としてバナナを選んでくれて嬉しく思いました。

ジョンレイさんと母のヴィオレッタさん

ジョンレイさんと母のヴィオレッタさん

無農薬バナナを広めたい!輝く女性の力。

ミンダナオ中部コタバト州にある「ドンボスコ財団」はミンダナオで最も新しいバランゴン産地で、2013年から出荷を行っています。

代表のベッツィさんはパワフルな女性リーダーで、哲学者から生産者になりました。
「哲学はその結果を目でみることができないけれど、土は触れることができ、農業や農民は変化が見えて楽しい。」と事業に飛び込んだそうです。

農薬散布を行うプランテーションの広がりにより山の水源が汚染されることを避けるため、ヨーロッパの財団から助成された資金で土地を購入。地域住民に土地を分配し、彼らの収入源としてバランゴンバナナの出荷をスタートしました。

訪れたブハイ村では、プランテーション化を目的とした土地の買い上げや農薬の汚染から暮らしを守りたいと考える住民と一緒にバナナ栽培に取り組んだ結果、村民の約4分の1世帯がバランゴン生産者となりました。
「バランゴンバナナを作りたい、という人は増えてきています。彼らのバナナを届ける先をみつけなくちゃ。」と意気込みを教えてくれました。

人々のくらしや平和を守りたい、という想いを原動力に、地域や社会を変えようと活動している姿はあいコープや日本の生協組合員のようで、「エネルギッシュな女性は国を超えて活躍しているのだな」と感じました。

ブハイ村のアイマさんとベッツィ(後列中央)を囲んで

ブハイ村のアイマさんとベッツィ(後列中央)を囲んで

私たちが外国人!奥地の暮らしを支えるバナナ

ミンダナオ島南部レイクセブ町ではティボリ族、オボ族などの先住民族が暮らし、環境の変化により狩猟採集と焼畑農業が難しくなった彼らの生計の手段として2004年からバランゴンバナナの生産が始まりました。

標高が高く、園地のほとんどは傾斜地。今回訪問したランフゴン村も市街地から車で約1時間ほど山と谷を上下に行き来する一本道をひたすら走り、道路は途中未舗装で途切れる箇所を乗り越えながら到着しました。

そこで子育てをしながらバナナを生産する若者たちに出会い、話を聞くことができました。「バナナの収入で子どもに教育を受けさせたい」「バナナの収入があることで月に1回、村にくる行商から魚を買っておかずにすることが嬉しい」という切実な思いや、日本の人々にバナナを食べてもらうことに大きな意味があると訴えていました。

経済大国となりモノや食糧が溢れる日本のような暮らしがある一方で、現在も道路、電気、医療等の基本的なインフラも不十分な環境下で暮らす人々がいること、生きるためにバランゴンバナナが大きな力になっていることを知りました。

ランフゴン村のみなさんと

ランフゴン村のみなさんと

ランフゴン村までの一本道

ランフゴン村までの一本道

産直のつながりはより強く

現地を訪れ、たくさんの生産者や彼らをサポートする現地スタッフの方々と出会い、フィリピンがより身近な産地として感じられるようになりました。

訪問から4ヶ月後、深夜に発生したミンダナオ島沖を震源とする地震では、翌日のニュースをみて生産者の安否が心配になり、今回の視察ツアー参加メンバーにメッセージを送りました。
半日ほど経つと大きな被害がなかったこと、生産者も皆無事であることが現地スタッフを通じてわかり、安堵しました。

わたしにとって、フィリピンの生産者の皆さんが今まで以上にあいコープの産直産地である、と強く意識するようになりました。
バランゴンバナナが化学合成農薬に頼らない農業のひとつであり、日本の消費者と直接つながる取組みとしてフィリピンでも関心が広がり、作り手が増えていることはとても心強くうれしいことです。出会った生産者の皆さんに、バナナを作り続けてほしい、その実現にはわたしたちの利用がセットで必要になります。「あなたたちが買い続けてくれる限り、作り続けるわ」視察先で出会った生産者にかけられた言葉です。「顔の見える関係」は海を越え、わたしたちの食卓で、共に生きる世界の実現につながっています。

はじめてみた外国人!

はじめてみた外国人!一緒に写真を撮って!と生産者(中央)と日本から同行したメンバーで記念撮影

(書き手:職員 千葉 ゆか)

バランゴンバナナが届くまで1
バランゴンバナナが届くまで2

街で見つけたフィリピン語
現地で味わうトロピカルフルーツ